トンガリ’97

とあるチャーハン王

小学1年生・引っ越し編

2004年4月 桶川市のとある小学校へ入学。

馴染めない。

物心が本格的に付き始め、内気な性格のせいもあり学校生活に馴染めない日々が続く。

集団生活が苦手なことを自覚。

1年2組。人生で1番初めに隣になった席の女子Aが不幸なことにキツめの性格であり、故に女性に対しての抵抗心が高まってしまう。

何故か筆箱に油性ペンで「あり なし 〇〇〇(僕の名前)」という意味不明な落書きをしてしまい、それを隣の席の女子Aに発見されイジられる。

何も言えず無抵抗。

羞恥心がグレードアップされる。

とある日、微熱か何かで病院へ行ったところ、待合室で後ろに座っていた中年女性に声を掛けられる。その方は書道教室の先生で、その後母親と共に見学へ行くことになる。それがきっかけで書道教室へ通い始めることになった。

1年生前半に関してはほぼ記憶がない。

特に仲の良い友達も居らず。

唯一記憶に残っているエピソードとしては幼稚園からの付き合いであったKくんと下校の途中、彼がおなかを下し林の中へ入り、野糞をし始めたのである。僕は見張り役として近くで人が来ないか監視していた。今考えれば、彼がきちんと尻を拭いたかどうかは怪しいものである。

夏前、両親が離婚することになり、父親とは別居することが決まる。(父親とはその後も定期的に自分だけ会っている)

前期終了日、僕が引っ越すというのでクラスメイト全員がメッセージアルバム作ってプレゼントしてくれた。

正直ちっとも嬉しくない。ワイのことをからかっていた女が一丁前に悲しみのコメントを添えているのである。しかし、目を疑うメッセージが1つ。特に喋ったことのない女の子が「かっこいい。好きです。」と書いてくれたのである。真偽はともかく嬉しかった。人生初のラブレターとして理解しておく。

母親と共に母親にゆかりのある東京都足立区へと引っ越す。母親とのアパート暮らしスタート。

自分はひっそりと東京へ引っ越したため、幼稚園時代よく遊んでいた子がワイを気にかけてくれて祖父の家に尋ねに来ていたようだ。そのことを後日知らされ、寂しさを実感する。幼少期の数少ない友人とは今も連絡すら取れていない状態なのでいつの日か再会を夢見ている。

夏休み明けの9月、足立区の小学校へ転入。

転入前に小学校の近くの公園で遊んでいたところ、同い年くらいの女の子と目が合う。その後、初登校初日にクラスへ挨拶に入ると、その子を発見。向こうもこちらに気が付いてくれた模様。

ドラマチックを覚える。

その女子が初恋の相手と言いたい流れだが、そうはならず。しかし、小6の修学旅行の肝試し企画でこの子とは手を繋ぐことになる。詳しくは小6編で綴る。

こちらの小学校では転入生という自分への物珍しさからかチヤホヤされた印象。

人生におけるモテキはここで幕を明け、早々に閉じる。

埼玉の小学校生活とは異なり上手く溶け込むことができ、交友関係も築けた。

自分だけ前の小学校のつば付き帽子を登下校時に使用していた為に羨望の眼差しを受ける。

こうして転校生デビューを果たした僕は自分にとっての地元はココ、足立区であると実感するのである。

故郷はどこか、と問われれば郷愁を感じることのできる桶川であろう。

小2へ続く。

生誕~幼稚園卒園まで

ただの備忘録だが、

過去を簡単に振り返ることで自分という人間にしっかりと向き合いたい。

なるべく噛み砕いて綴っていく。

今回は幼稚園卒園まで。

 

1998年3月末  埼玉県桶川市にて生誕。

同級生と比較してかなり遅めに生まれた。

名付けられた名前は気に入っている。

生まれてから祖父の家で過ごしていたこともあり、幼いころの写真には祖父と祖母、叔母もよく一緒に映っている。

髪型に関して、おかっぱの時期や坊主の時期が見受けられる。

 

とある幼稚園へ入園。2年連続たけ組。担任は恭子先生。

彼女にはお世話になったとうっすら記憶している。

生まれたのが遅いことを言い訳にするが、周りに比べて物事を覚えていくスピードが遅かった。且つ不器用な人間でもある。

卒業アルバムに添えられていた恭子先生のメッセージによると、靴下も自分で履くことが困難であった模様。可愛らしい。

ひそかにひまわり組に憧れていた。

竹より向日葵の方が煌びやかである認識はあったようだ。

 

2~3歳の頃から卒園までスイミングスクールにも通っていた。

このおかげで水泳は得意分野に入る。練習が終わったあとのセブンティーンアイスが楽しみであった。今でもサウナの香りを嗅ぐとスイミングスクールに通っていた頃を思い出し郷愁感に浸る。

練習中に水中で嘔吐した記憶がある。誰にもバレることはなかった。

 

キッズ専用の体操クラブにも加入。他の人と比較して身体が柔らかいようだ。今は硬い。鉄棒、跳び箱も得意分野へ追加。とある日の活動中、逆上がりをした際に右目の隅を切ってしまい、病院へ行き初レントゲン。

遊びとして、泥団子をピカピカにする術を友人から学ぶ。

近所の女の子と遊んでいた時、母親からお菓子を渡され、あの子にあげてきなと言われたが緊張してあげられず。

この時初めて異性への意識が芽生えたのかもしれない。

性格として、おとなしめではっきりと物は言えない。身内に対してもそうである。

ある日祖母とお風呂と入ることになり、祖母が先に入っている状況のなか、恥ずかしくて入れずに洗面所で裸で突っ立っていて怒られる。

口数も少ない。友達と喧嘩をすることもなく、親としては手にかからない息子であったはずだ。

スーパーで両親と買い物の際中、1人でお菓子売り場にいると見知らぬおばさんに好きなお菓子買ってあげると言われる。恐怖心の芽生え。父親が近くにいたので駆け寄り何事にもならず。

 

卒園。

 

落単の美学

去年の堕落っぷりは目に余る
見事なまでにクズ大学生(※1)を満喫した

(※1一般的なクズ大学生の意味とは異なり、
筆者の場合、悲しいことに女遊びは含まれていない)

ふと自分に問いかける
ワイはこんな人間であったか?

高校生までの自分は真面目だった
真面目でいることに安心感を得ていたのかもしれない
如何せん、真面目に過ごしていれば怒られることもなく、恥をかくこともない

なるべく目立たずに生きていたい...
今思えば、人目を気にしていたんだろう

大学に進学し、事態は一変する
1年次はまだ自分が変わってしまうことに躊躇していたのか、真面目な自分が残存していた。

しかし2年次、悲劇の幕開け。
気付いてしまった
授業に出なくたって怒られることもない
登校しなくたって親に連絡がいくこともない

おいおい、自由じゃん!
自己判断で動けばいいじゃん!
どう転んでも自分の責任じゃん!

授業をサボる快感を得たワイはもう誰にも止められない

これまでの人生、知らないうちに自分の中で我慢していた部分があったのか?
放尿が止まらない
エンドレスエクスタシーに浸る

結果として
まだ単位取得の望みがある授業の学期末テストも放棄し、合計33単位を落とした

桜はふわふわと舞い落ちることで美しさを表現する
大量の単位も一気に落としてみると、あら不思議。パッと散った。
ほんとうに一瞬だった。
もう彼女たちは戻ってこない。なんて儚いんだろう。

ただ単位を落としたのではない
ワイは単位を芸術的表現へと落とし込んだのである

たかだか数単位落としただけじゃこの美しさはわからないだろうな


うん。


ん?^^

何言ってんだこいつとか思わないでよ
ワイだってわかってるよそんなん、やめてよ(逆ギレ)

あんな自由にだらけた1年間は今後ないだろうなあ


大学辞めたいよーーー!!!


でも先が見えないので、とりあえず卒業はしよか
母上には頭上がらないっス!おっすおっす!

ってなわけで、今年は真面目に学びヤース。